分別のつく社会
「(人間にとって幸せなAIロボット社会とは)分別のつく社会。」
大学3年生のしんたろうさん(仮名)。幸せなAI・ロボット社会はどのようなものなのか聞かれたところ、このように答えてくれます。
「今もうさ、電子書籍で読もうと思えば読めるじゃん。俺はけっこう紙媒体で読んでいたい。一緒で、ある人は多分AIにやってほしいという部分があると思うけど、ある人は、やっぱり人にやってほしいという部分もあると思う。どこが、人の手が介在するべきか、もしくはしないべきか、というふうな、メリハリがついたようなのが望ましいんじゃないかなと。」
デジタルネイティブとも呼ばれるZ世代。毎日当たり前のようにAIと触れ合い、生活で活用しています。その一人として、しんたろうさんはいま、どういうふうにAIと関わっているのか。そして、30年後のAI・ロボット社会にどのような期待があるのか。取材で聞いてみることにしました。
現存のAIへの複雑な思い
「マッチングアプリの広告が出たときは何か腹が立つ。(笑)」
AIへの印象を尋ねたところ、しんたろうさんは苦笑いを見せながら語ってくれます。最近、YouTubeが出しているおすすめ動画やコマーシャルメッセージに複雑な思いがあると話しています。
「まさに見たいものドンピシャで出てくるときがあって、なんかすごいな…というふうには思うけど、広告で的外れで一番見たくもないような広告が載るけど、(それを見て)上手くするような仕組みはないのかな…(と思う)」
法学部に所属するしんたろうさんは、中国語学習会というサークルの幹事長を務めています。言語学習が大好きで、語学関係の動画をよく見るといいます。
「元々自分が香港にいたというのはあるけど、香港の人の英語ってまあまあ特徴的なわけじゃん。(おすすめ動画として)今日本でも人気があるだいじろうの動画が来る。多分英語の訛りや特徴の部分で、AIが導き出したのかなとそんなことを思ったりしたね。」
しかし一方で、動画の視聴頻度は必ずしもニーズと関係しているとは言えないと指摘。
「授業中に、法律の条文を確認するために、検索ワードで結構法律の条文の用語を出すから、『司法試験を受けませんか』みたいなそういう宣伝もよく(出る)。司法試験の対策もあるし。」
「法律系の動画のおすすめが出たらありがたいなぁっていう感じ?」と聞きます。
「いやあ、なんだろう、あんまりいらない。(笑)」
AIで言語学習の必要がなくなる?
今年から、大学入学センター試験が共通テストへと移行。英語民間試験を活用する方針でしたが、地域格差の懸念などの批判を受け、文科省は導入を断念しました。(参考文献:NHK 大学共通テスト 英語民間試験と記述式導入断念へ 文科省https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210622/k10013097081000.html 2021年10月6日閲覧)
多くの人を苦しめてきた語学。もし将来、多言語翻訳をAIが代わりにする技術ができたら…
「やめてほしい。」
さすが語学好き。即答してくれます。
「そんなに堂々と言ってくれるとは思わなかった。(笑)」と同じく言語学習が好きな私は冗談半分で聞きます。自分の趣味をAIに奪われたくないという考えが影響し、客観的に翻訳ソフトなどを見ていないのではないかと疑っているからです。
しかし、しんたろうさんは、自分の言語学習の経験を振り返りつつ、このように語ります。
「(言語学習は)語学だけじゃなくて他の文化とかいろいろ学ぶわけじゃん。中国人のメンツの文化とか、語学をやってくうちにどんどん知っていくわけだし。例えば多喝熱水(「お湯を飲んで」、恋人を労れず、簡単なアドバイスしかできないことをさす)。翻訳だと言葉としてそういうのがあるって知っていても、それに止まっちゃうから。活用しないじゃん。」
しんたろうさんは、論文などを理解するのに、補助として多言語翻訳を使用することには賛成していますが、人々の交流のありとあらゆる場面でポケトークのような翻訳機に違和感を覚えると指摘。
「中国語を学んでいる人がその全部機械翻訳でいいよってなっちゃったら、そもそも中国に行きたいって思わなくない?言語を通して中国に行きたいなって思うようなことがなくなっちゃうから。語学ができないのを、機械やらせるのは違うと思う。」
多言語翻訳の普及は、本当に国境を越えた交流を進めることにつながるのか、考えさせられる話です。
AIで「分別のつく社会」を

しんたろうさんにどのようなAIがいいかを聞いたところ、最初はドラえもんが欲しいと言っていましたが、後ほど「コロ助」の絵を送ってくれます。
AIも人間と同じように、ミスをすることが考えられるため、逆に少し「抜けている」存在がいいと説明します。
最後は、人間にとって幸せなAIロボット社会とは、どのようなものなのか、聞くことにします。
数秒間の沈黙の後、しんたろうさんはこう答えてくれます。
「分別のつく社会。」
「賛成しなかろうが、賛成しようがいい、流れが来てるから止められないわけだから、そこは自分なりにどう哲学を持つかってことかな。ここはAIでもいいかなとか、ここは自分の手でやったりとか。僕にとっては計算とか物理はやりたくない。でも中国語のコミュニケーションは絶対譲りたくないし。」
積極的にAIを使いたい人も、そんなに使いたくない人も取り残されない社会。
このような柔軟性がある2050年を期待したいです。