Z世代に続く「α世代(アルファ世代)」――おおむね2010年以降に生まれ、物心ついた頃から生成AIや音声アシスタント、スマートデバイスが当たり前にそばにあった世代を指す。彼らにとってAIは「新技術」ではなく、空気や文房具に近い「あたりまえのもの」である。その世代の子どもたちが、いまの時点で「AIロボット」をどう思い描いているのか。
本記事では、日本とアメリカのα世代がそれぞれ描いた「AIロボット」のドローイング5枚ずつ、計10枚を並べて比較する。統計的な調査ではなく、ささやかな手描きのスケッチを通して、両国の子どもたちが抱くAI像の手触りに触れる試みである。
日本のα世代が描いたAIロボット
日本の5枚には、共通して「人間や生き物と関係を結ぶ存在」としてのAIが描かれている。猫型の擬人化、バーチャルライブの歌姫、ねじで組み上げた親しみある箱型、警官として市民を守るロボット、忘れ物を一緒に探してくれるパートナー――いずれも、ただの機械ではなく、暮らしのなかで表情を変え、声をかけ、役割を分け合う「誰か」として描かれているのが印象的だ。





アメリカのα世代が描いたAIロボット
一方、アメリカの5枚には、直線的な輪郭と金属的な質感を持つ「機械としてのロボット」像が並ぶ。頭部や胴体にスクリーンやボタンを備えた箱型、触角と色とりどりのスイッチを持つ機体、ハサミ状の手、メーターやアンテナと車輪――いずれも造形の骨格は「装置」や「道具」であり、人間とどう関係するかよりも、楽しく一緒に暮らすようなイメージではなく、道具的な利用、何でできていて、どう動くのかに関心が向けられているように見える。





二つのAI像から見えてくるもの
10枚を並べて眺めると、日本とアメリカのあいだに、ある対照が浮かび上がる。日本側の描写は、情緒的で人間的なモデル――AIを「共に暮らす仲間」「関係を結ぶ相手」として思い描く傾向が強い。表情、声かけ、心遣い、役割分担といった要素が画面の中心に置かれ、AIは人間や動物と幸福に共生するイメージ豊かな存在として立ち上がっている。
対してアメリカ側の描写は、道具的で非人間的なモデル――AIを「機能を備えた装置」「操作と命令の対象」として思い描く傾向がうかがえる。ボタン、スクリーン、アンテナ、車輪、装甲といった機械的なパーツが主題であり、絵の中心にあるのは誰かとの関係ではなく、機体そのものの構造や性能である。
もちろん、わずか5枚ずつの手描きスケッチから文化的一般化を導くことはできない。それでも、同じ「AIロボットを描いて」という問いかけに対して、日米のα世代が異なる感覚的な重心を持っているらしいことは、10枚を並べれば肌で感じ取れる。それは、両国の物語や玩具、映像文化、教育、そしてAIとの出会い方の違いを、静かに反映した鏡でもあるだろう。
日本のα世代は情緒的で人間的なAI像を、アメリカのα世代は道具的で非人間的なAI像を――このように、本記事の編集部は受け取った。あなたはどう感じただろうか。10枚のドローイングを並べて眺めながら、あなた自身が抱く「AIロボット」のイメージと照らし合わせてみてほしい。