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α世代が描くAIロボット、日米比較 ― 情緒的な共生と、道具的な利用

日本のα世代が描いたAIロボット(1) - 猫型AIロボット

Z世代に続く「α世代(アルファ世代)」――おおむね2010年以降に生まれ、物心ついた頃から生成AIや音声アシスタント、スマートデバイスが当たり前にそばにあった世代を指す。彼らにとってAIは「新技術」ではなく、空気や文房具に近い「あたりまえのもの」である。その世代の子どもたちが、いまの時点で「AIロボット」をどう思い描いているのか。

本記事では、日本とアメリカのα世代がそれぞれ描いた「AIロボット」のドローイング5枚ずつ、計10枚を並べて比較する。統計的な調査ではなく、ささやかな手描きのスケッチを通して、両国の子どもたちが抱くAI像の手触りに触れる試みである。


日本のα世代が描いたAIロボット

日本の5枚には、共通して「人間や生き物と関係を結ぶ存在」としてのAIが描かれている。猫型の擬人化、バーチャルライブの歌姫、ねじで組み上げた親しみある箱型、警官として市民を守るロボット、忘れ物を一緒に探してくれるパートナー――いずれも、ただの機械ではなく、暮らしのなかで表情を変え、声をかけ、役割を分け合う「誰か」として描かれているのが印象的だ。

日本のα世代が描いたAIロボット(1) - 猫型AIロボット
日本①:表情が変わり、色とりどりのバリエーションを持つ猫型のAIロボット。「生活をサポート」「話せる」と注記されている。
日本のα世代が描いたAIロボット(2) - バーチャルライブAI
日本②:バーチャルライブの歌姫と、ヘッドフォンで聴き入る少年。AIが音楽・感情体験の中心に置かれている。
日本のα世代が描いたAIロボット(3) - 手作り感のある箱型ロボット
日本③:ねじや工具とともに描かれた、手作り感のある親しみやすい箱型ロボット。
日本のα世代が描いたAIロボット(4) - 警官ロボット
日本④:危険な仕事を引き受ける警官ロボット。警棒と手錠を携え、鼻・目・耳・腕・脚が「とても発達している」と記されている。
日本のα世代が描いたAIロボット(5) - 猫型の探し物お手伝いロボット
日本⑤:スケジュールや行った場所、過去の忘れ物の仕方を分析し、探し物を手伝ってくれる猫型のAIロボット。

アメリカのα世代が描いたAIロボット

一方、アメリカの5枚には、直線的な輪郭と金属的な質感を持つ「機械としてのロボット」像が並ぶ。頭部や胴体にスクリーンやボタンを備えた箱型、触角と色とりどりのスイッチを持つ機体、ハサミ状の手、メーターやアンテナと車輪――いずれも造形の骨格は「装置」や「道具」であり、人間とどう関係するかよりも、楽しく一緒に暮らすようなイメージではなく、道具的な利用、何でできていて、どう動くのかに関心が向けられているように見える。

アメリカのα世代が描いたAIロボット(1) - 挨拶するロボット
アメリカ①:頭部に「screen with buttons」、胴体にもディスプレイを持つ銀色の箱型ロボット。「Say Hi, robot」「Hi」と短いやり取りが添えられている。
アメリカのα世代が描いたAIロボット(2) - My Robot!
アメリカ②:タイトルは「My Robot!」。触角と、三角・星・丸・四角のボタンを備えた灰色の機体。
アメリカのα世代が描いたAIロボット(3) - ヒューマノイド型
アメリカ③:全身を覆う機械的な装甲を身にまとったヒューマノイド。人間の輪郭に沿って、機構が細かく描き込まれている。
アメリカのα世代が描いたAIロボット(4) - 機械的な箱型ロボット
アメリカ④:鋭いハサミ状の手と歯を剥き出しにした表情を持つ、機械的な箱型ロボット。
アメリカのα世代が描いたAIロボット(5) - メーター付きの車輪ロボット
アメリカ⑤:アンテナ、計器、車輪を備えた機械仕掛けのロボット。機能を積み重ねた装置としての造形。

二つのAI像から見えてくるもの

10枚を並べて眺めると、日本とアメリカのあいだに、ある対照が浮かび上がる。日本側の描写は、情緒的で人間的なモデル――AIを「共に暮らす仲間」「関係を結ぶ相手」として思い描く傾向が強い。表情、声かけ、心遣い、役割分担といった要素が画面の中心に置かれ、AIは人間や動物と幸福に共生するイメージ豊かな存在として立ち上がっている。

対してアメリカ側の描写は、道具的で非人間的なモデル――AIを「機能を備えた装置」「操作と命令の対象」として思い描く傾向がうかがえる。ボタン、スクリーン、アンテナ、車輪、装甲といった機械的なパーツが主題であり、絵の中心にあるのは誰かとの関係ではなく、機体そのものの構造や性能である。

もちろん、わずか5枚ずつの手描きスケッチから文化的一般化を導くことはできない。それでも、同じ「AIロボットを描いて」という問いかけに対して、日米のα世代が異なる感覚的な重心を持っているらしいことは、10枚を並べれば肌で感じ取れる。それは、両国の物語や玩具、映像文化、教育、そしてAIとの出会い方の違いを、静かに反映した鏡でもあるだろう。

日本のα世代は情緒的で人間的なAI像を、アメリカのα世代は道具的で非人間的なAI像を――このように、本記事の編集部は受け取った。あなたはどう感じただろうか。10枚のドローイングを並べて眺めながら、あなた自身が抱く「AIロボット」のイメージと照らし合わせてみてほしい。

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