私たちにとってのAIとは!?翼?パートナー?
初めまして!早稲田大学文化構想学部、高橋利枝ゼミ生のカントです。
先日、ゼミの課題で「2050年の社会とAI」をテーマに、26歳社会人Aさんと21歳大学生Bさんにインタビューをしてきました。
同じテーマなのに、出てくる意見が全然違って、でも根っこは同じだったりして……物凄く面白い!せっかくなので、その内容を皆さんにもシェアしたいと思います!
理想の未来予想図は「翼」か、それとも「パートナー」か?
まず、2人に「2050年の理想の社会」を絵に描いてもらいました。ここからすでに対照的なAI観が見えてきます。
社会人Aさんが描いたのは、「AIが人間の翼になってくれる社会」。なんとも詩的ですが、その心は「苦手なことややりたくないことから解放され、自分のやりたいことに集中できる状態」を表現したもの。彼にとってAIは、自分をより自由にしてくれる便利な「翼(ツール)」なんです。
大学生Bさんが描いたのは、「人とAI、自然とテクノロジーが調和している社会」。子どもとロボットが手をつなぐ姿で「信頼」を表現し、テクノロジーと自然の共存を願う彼女にとって、AIは共に生きる「パートナー」という位置づけです。
ツールとして使いこなしたいAさんと、信頼関係を築きたいBさん。このAIとの距離感の違いが、他の質問への回答にも表れていました!


ここは譲れない!AIに任せたいコト、任せたくないコト
じゃあ具体的に、2人はAIに何を任せたくて、何を自分でやりたいと思っているんでしょうか?
【AIにお任せしたいことリスト】
・洗濯機から出てきたねじれたジッパーを戻す作業 (Aさん)
・銀行での通帳の記帳 (Aさん)
・アルバイトのデータ入力 (Bさん)
・連絡のリマインド (Bさん)
見事に「誰でもできる単純作業」や「地味に面倒な雑務」がランクイン! ここは2人の意見が完全に一致。わかる、わかりすぎる。その時間があったら、もっとクリエイティブなことしたいですもんね!
ところが、「これは人間がやるべき!」という領域になると、2人の価値観がシンクロし始めます。
特に顕著だったのが医療の分野。
治療の技術はAIを信頼しつつも、2人とも「診察やカウンセリングは人間がいい!」と断言。Aさんは「真剣に聞いてほしい」という心の距離感を、Bさんは「人間的な感情で寄り添ってほしい」という温かみを求めました。AIに悩みを話すと、マニュアル通りに「カテゴライズされちゃいそう」というBさんの不安、すごく的確ですよね。
また、介護の分野では、排泄や入浴の補助は「人にやってもらうと申し訳ないから」AIにお願いしたい、という点で一致。ここでも、人の「心」が関わる部分は、AIに任せた方がむしろ気が楽、という面白い心理が見えてきました。
結局のところ、2人とも「感情的なつながり」や「達成感」が関わる部分は、AIに任せたくないようです。Aさんが言った「デートでAIに指示された言葉を話して、それって嬉しい?」という一言に、すべてが詰まっている気がします。
芸術に「魂」は宿るか?AIアートへの真っ向勝負!
AIとの線引きが最も鮮明になったのが、芸術の分野。ここは意見が真っ二つに分かれました。
Aさんは、生成AIが作った作品に対して「芸術じゃない」「魂がない」と、かなり強い拒否反応を示しました。好きな作品の制作にAIが少しでも関わっていたら「作品そのものがちょっと濁った気がする」とまで言う徹底ぶり。彼にとって芸術とは、上手い下手を超えた作り手の「アツさ」や「思い」そのものなんですね。
一方のBさんは、AIアートを見ること自体に抵抗はナシ。でも、「わざわざ美術館に行ってまで見たいとは思わない」と冷静です。なぜなら「人間が作ったものに人間味があっていい」から。彼女が芸術に求めるのは、AIにはない人間ならではの「独創性」でした。
一見、正反対の意見に見えますが、「作り手の魂」を重視するAさんも、「人間味や独創性」を重視するBさんも、最終的には「人間」が作ることにこそ価値があると考えている点で、実は同じ方向を向いているのかもしれません。
AI先生はアリ?ナシ?僕らの学びはどう変わるのか
最後に、教育について。ここでも2人の意見は興味深く一致します。
2人とも、単純な課題解決のためにAIを使うことには「NO」。
Aさんは、AIに頼りすぎると銀行員の財務分析能力が落ちたように、「自分で考える力が失われる」と懸念。Bさんも、実際に課題でAIを使った経験から「自ら学ぶ力をつけてからじゃないと危険」と感じ、AIデビューは高校生からが適切では?と提案しました。
じゃあ、AI教育はダメなのか?というと、そうではありません。
Aさんは、「子供の好奇心を伸ばすツール」としての活用を提案します。例えば、「じゃがりこの秘密について教えて!」とAIに頼めば、本になっていないようなニッチな知識も、子供向けの読み物として作ってくれるかもしれない。先生や親が答えられない質問にも、AIが答えてくれる。これ、最高じゃないですか?
2人とも、AIを「ズルをする道具」ではなく、「知の探求を助けるもう一人の教育者」として捉えるなら、大いに活用すべきだと考えているようです。
まとめ:AIは「ドラえもん」になれるのか?
AさんはAI社会を「一家に一台の青狸(ドラえもん)」と表現し、Bさんは「人間が主体で、AIはあくまで支え」と語りました。
AIを「翼」と見るか、「パートナー」と見るか。その距離感は違えど、2人の話から見えてきたのは、「面倒なことはAI、心や魂が関わることは人間」という共通の線引きでした。
どんなにAIが進化しても、最後の判断は人間が下す。私たちの人生の主役は、私たち自身。その主体性を忘れずにAIと付き合っていくことが、幸せな未来への鍵なのかもしれません。
さて、この記事を読んでくれたあなたは、AIとどんな未来を描きますか?