誰のために、どのように使用するべきか
グリニッジ大学で演劇を専攻している20歳の女性Dさん。身体障害者や社会的弱者に理解があり、現代社会の格差社会に不満を抱えるDさん。AIやロボットは、一体誰のためにあるのでしょうか。一緒に考えてみましょう。
一つ希望を挙げるなら
Dさんは将来、保育園などで仕事をしたいと語っています。そうして経済的安定を確保し、大きな家を所有し、困っている人を助けたいといいます。その中でDさんは、2050年に望むたった一つの希望を語ってくれました。
「人工臓器が実現して欲しいです。でもそれは単に私が糖尿病を抱えているからです。それ以外、私はこれが欲しいなどと思うことはありません。物事は変わっていくから、どうなるかなんて見当もつかない。(中略)自分で快適な生活をしながら、他の人たちにも同じ生活ができるよう支援をするというのも立派なことだと思う。」
自分自身の病気と日々付き合っているからこそ、人一倍未来の医療への期待が大きく膨らんでいるのではないでしょうか。未来はどうなるかわかりませんが、一つでも希望を持つことはとても大切なことだと思います。そしてDさんは、世界中の誰もが平等に扱われ、AIやロボットを利用して快適な生活ができる未来を望んでいました。
左:欲しいAIロボット
「血糖値を読み取り、インスリンを調整してくれる」
右:2050年の理想の社会
「平等な社会」
偏見をなくすためにAIを活用できるか
DさんはヘルスケアのAI・ロボットは便利だと語りました。ペットに関しても、ルンバでも愛情がある人もいるから、お年寄りや動物が飼えない人に取ってロボットペットは良いかもしれない、と話します。また、医療や老人ホームで一部使う際にも有効的だと話してくれました。
「医療の現場には、肥満嫌いや障害者差別が横行しているでしょう。それを取り除くために有用なのではないかと思うのです。だから私としては、人間かAIかというのではなく、人間とAIがともに協力するのが良いと思います。」
身体障害者や社会的弱者に理解があるDさんだからこその意見だと感じます。人間の世界から偏見を無くすことは困難かもしれません。しかし、それを実現するためにAIやロボットをどう活用できるか、考えていくことは大切ですね。
AIとロボットのイメージ
DさんがAIに対して最初に浮かんだイメージは “怖い” だそうです。兵器にもなりうるという事がそのようなイメージを作っていると言います。ロボットのイメージは、映画に出てくるような機械のイメージのようです。ただ、Dさんが言っていたのは、AIやロボットに否定的なイメージも、肯定的なイメージも全然無いという事です。
「私は人間に否定的なイメージがあるので、私たちがロボットとAIをどう使うのかについては否定的なイメージを持っています。というのも、ロボットとAIそのものは中立的ですが、それをコントロールしているのはわたしたちだからです。」
私たちがAIやロボットをどのように使用するかについては、誰も制限する事ができません。恐ろしい方法で悪用されてしまうことや、すぐ近くに危険があるということを、私たちは日々考えていかなければなりません。
終わりに
Dさんは、インタビューの中で多くのAIの可能性を挙げてくれました。争いや差別の多い世界で、AIやロボットは “中立的な立場” として、人類を救ってくれるかもしれません。しかし、AIやロボットを使用する私たち人間が、どこまで道徳的な善悪を問う事ができるのでしょうか。Dさんのように、誰のために、どのようにAIやロボットを使っていくべきか、もう一度考えてみようと思います。