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シリーズ!AI×Z世代 #27

AIに使われない未来を描く

2050年。医療や介護、教育や芸術、あらゆる場面でAIが自然に使われている社会が訪れるかもしれません。
そのとき人間はどんな役割を果たしているのでしょうか。主体は誰の手にあるのでしょうか。

今回は、大学3年生のサシャくんと高校3年生のベアさん、二人のインフォーマントにAIと未来社会について語ってもらったインタビューを紹介します!

大学3年生のサシャくんは理工学部に所属、高校3年生のベアさんは5年前からアレクサと共に生活しているそうです(妹は生まれたときからアレクサと一緒に育っているそうです……!)

世代やライフスタイルの違いがありつつも、共通して浮かび上がってきたのは「AIは補助役にとどまり、人間が主体であるべき」という考えでした。

AIと医療 ― 不安と期待のはざまで

医療へのAI導入について、二人の答えはよく似ていました。
現状では「症例が少ないからミスをしそう」「まだ不安がある」という懸念が先に立つものの、2050年という未来を見据えれば「症例が十分に蓄積されれば信頼できるようになるはず」と前向きに捉えていました。

完全な治療は人に任せたいけれど、予約や受付のような補助的な業務なら今でもAIに任せられるし、むしろ歓迎できるという、現実感のある受け止め方でした。

芸術 ― 感情と「オーラ」は誰が生み出す?

クラシックバレエを趣味としている二人。芸術については両者とも「人間にしかできない領域がある」という点で意見が一致しました。
サシャくんは「芸術は人の思いや感情を伝えるもの。AIは形にするのを手伝えるけど、“思い”自体は人間にしか生み出せない」と語ります。ベアさんは、バレエを引き合いに「踊る人のオーラや雰囲気はAIには出せない」と指摘しました。AIが作る表現はどうしても均質的で、人間の一瞬ごとの気分や独特の個性までは再現できない。芸術におけるAIの限界が浮かび上がりました。

共通する未来像 ― 人間が主体である社会

細部の意見には違いがあっても、二人の考えが重なるところははっきりしていました。

「AIは雑務や効率化には有効」「感情や芸術、深いコミュニケーションは人間が担うべき」「主体は人間であり、AIは補助役にとどまる」

2050年の理想社会について尋ねると、サシャくんは「人が主体性を失っていない社会」と答えました。ベアさんも「AIに利用されない社会。人間が指示を出し、責任を取るカタチが理想」と述べています。

理想の社会の絵

ベアさんに「2050年の理想の社会」を描いてもらうと、そこに書かれていたのは文字どおり「みんなが幸せ」という言葉と、それを象徴するシンプルなイラストでした。技術的な細かい条件よりも、人が笑顔でいられることこそが理想なのだと、彼女の感覚は教えてくれます。

この「みんなが幸せ」という言葉は、技術や制度の細かい話よりもずっと根源的な問いを投げかけているように思えます。AIの導入が進んでも、その目的は結局「人が幸せであること」に尽きるのではないでしょうか。

一方でサシャくんは東京の道路をイメージし、「自転車、車、歩行者が安全に共存できるようにレーンが分かれている社会」を挙げました。社会を支えるインフラや制度に関心が向いている点は、理系学生で将来エンジニアを志す立場らしい視点でした。

結びに

AIがどれだけ進化しても、人間の主体性が失われれば意味がない。二人のインフォーマントの声を聞いて強く感じたのはその点でした。

未来のAI社会を考えるとき、私たちに問われているのは「AIをどう活用するか」以上に、「人間にとっての幸せとは何か」を問い直すことなのかもしれません!

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