Lilyは20歳、北カリフォルニアのコミュニティカレッジでコミュニケーションを専攻している学生だ。両親はふたりとも働いている。AIと触れる機会は主にソフトウェアやデジタルツールを通じてで、ロボットと直接関わった体験として最も記憶に残っているのは、サンフランシスコの回転寿司店に行ったときのことだという。店内をメロディーを奏でながら走り回るロボットが、彼女のもとに飲み物を運んできた。「すごく不思議な感じだったけど、本当に面白かった」と彼女は振り返る。
サステナビリティ、クリエイティビティ、そして不確かな未来
Lilyはまだ自分の進む道を探しているところだ。デザイン、写真、建築に惹かれており、それらの分野ではAIが人間の創造的な声を完全に代替することはできないと感じている。2050年には経済的に自立し、太陽光発電と自前の水システムを持ってサステナブルな暮らしを実現したいと言う。2050年の社会については、不安もあるが希望も持っている。「今の政治情勢も環境の状況も、あまり良くはない。それは少し心配。でも、もっとポジティブで多文化的な方向へ進んでいてほしいと思う」。バーチャルリアリティはこれからも拡大し続けて、娯楽にとどまらず、日常の仕事やあらゆるタスクに欠かせないものになっていく可能性があると考えている——ただ、それが果たして良いことなのかどうかは、まだ判断できないという。
本当にほしいスマートホーム
Lilyが特に魅力を感じるのは、家の中にさりげなく溶け込んだAIだ。暖房を自動で調整し、玄関を入ると健康上のリスクをスキャンし、料理や庭の手入れ、修繕まで手伝ってくれる中央システム——そういうものがあったらいいと思っている。「キッチン補助ロボットはいろいろ出てくると思う。開発が楽しそうだし、家の中や庭仕事の手伝いにもなるから」。VRの可能性には期待を寄せる一方で、依存することへの警戒感もある。知能を高めるためのインプラントには懐疑的だ。「それをすると、人工的に自分を強化できる人とそうでない人の間に、今以上に大きな格差が生まれるんじゃないかと思う」。一方で翻訳ロボットには前向きで、リアルタイムで通訳してくれるイヤホンについての記事を読んで、本当にわくわくしたという。
仕事、共感、そして一線を引くところ
AIに関する問いに対してLilyがよく口にするのは「どちらとも言えない」という言葉で、それが何度も繰り返されるのは、彼女の本音の迷いを映している。病院では、薬の計量や検査、データ処理といった単調な作業にAIを活用することを歓迎しており、医師が特定の機器を使う手術での補助ロボットも問題ないと思っている。ただ、共感の領域には明確な線を引く。「ロボットには共感を計算することはできない。高齢者に一番必要なのはそこだと思う」。介護施設では、AIがどれだけ導入されても、必ず人間のスタッフが隣にいるべきだというのが彼女の考えだ。店舗では人間の店員との会話を好む——「実際に話しかけて、偏りのない意見やその人ならではのセンスを聞きたいから」——とはいえ、ロサンゼルスのショッピングモールでAIを使った試着室を体験して、その出来に感心したことも素直に認めている。
システムではなく、作り手の意図を信頼する
AIへの信頼という問いに、Lilyは少し哲学的に向き合う。「そのAIを作った企業が本当にポジティブで誠実な意図を持っているなら、信頼できると思う。でも、単なる金儲けのためだとしたら、必ずしもそうはならない」。過度な依存についても心配している。「テクノロジーにどんどん頼るようになって、私たちは本来の自分の姿や、テクノロジーが生まれる前の生き方からどんどん離れていっている」。ロボットの外見については、明らかに機械とわかる無機質なデザインのほうがいいと言う。「人間そっくりのアンドロイドは正直ぞっとする」。2000年代初頭に流行った小さな透明のアニマトロニクスの犬のおもちゃのことを懐かしく覚えていて——生き物らしさはあるけれど、誰がどう見ても機械というもの——ああいうのが自分の好みだと話す。
クリエイティビティ、人類学、そして置き換えられないもの
2050年には、ロボットが補助はできても代わりにはなれないクリエイティブな仕事——建築、インテリアデザイン、写真——に携わっていたいとLilyは言う。「自分の仕事には自分自身が表れる。ロボットにはそういう意味での創造性はないと思う」。AIは生まれる仕事より多くの仕事を奪うと見ており、すでに自動機械に置き換えられた工場の労働者を例に挙げる。それでも、クリエイティブな仕事やスポーツ、医療の分野は人間の手に残ってほしいと願っている。将来へのアドバイスとして彼女が挙げたのは少し意外な言葉だった。「過去に目を向けることは、未来を見つめることと同じくらい大切だと思う」。最近受けた人類学の授業がとても刺激になったといい、人間がどこから来たのかを理解することは、テクノロジーがどこへ向かうのかを想像することと同じくらい大事なことだと気づかされた、と話す。
